「三重テラス 伝統工芸部」第6回活動

「三重テラス 伝統工芸部」第6回活動 部活動

2025年11月17日(月)18:30~20:30

■ 参加者数:  18名 

今回も様々な方が参加されました。

・日々つくり手の想いを受け取りながら、生活者へ届ける役割を担っている方

・素材となる土の特性から焼成方法まで、現場での知識を活かし新たな土鍋づくりを行っている方

・大学で伝統工芸を研究している学生さん

・日本の伝統に関心のあるオランダ出身の方

・いつも着物を着用して参加している方は、紅葉をイメージした色とりどりの帯で来館され、

季節の移ろいを感じさせる華やかな雰囲気となりました。

部員の声

「伊勢茶といえば煎茶のイメージだったけれど、ほうじ茶もあるんですね」

「まな板を綺麗にしたい時は“削る”という方法があるとは知らなかった」

「琴と三味線をやっている、日本の伝統文化を日本から海外に広める活動をしたい!」

「いつも自宅の茶器でお茶を飲んでいるくらい日本の工芸品が好き」なオランダ出身の方など、

工芸の使い手としての素朴な疑問や、新しい発見が次々と共有されました。

― 伝統工芸部部長の漆原さんの感想 ―

今回は、ひとり問屋「スタジオ木瓜」代表である日野明子先生をお迎えし、お話をうかがった。日野氏は1999年に独立し、伝統工芸品を販売する業界で、30年以上に渡って活躍するプロフェッショナル中のプロフェッショナルである。私は今年3月に神楽坂フラスコで氏がプロデュースした展示会を拝見した。そこで展示されている商品のチョイスは、まさに氏が選定し、氏のテイストが反映したラインナップであった。そして、その美意識はこれまで社会に受け入れられている。だから、氏が何を話されるのか、どういう思考回路をされるのか大変注目していた。結論からいうと、私にとっては、有意義な講演であった。話の内容は、陶磁器のお話、三重県の伝統工芸品の紹介、氏が執筆されたエッセイや評論、直近で上程した書籍『台所道具の選び方、使い方、繕い方』の紹介であり、会場からの質問に答えてのまな板のお手入れ方法であった。その中で、氏からのエッセンスが垣間見られたのは大ヒット商品である「飯櫃ころりん」の紹介ぐらいであった。

どういうことであろうか。繰り返しになるが、氏の講演は私にとって有意義であった。組織に所属している私が講演する場合はエッセンスだらけの内容になる。氏は独立して、誰に頼るでもなく、自力でこの世界に生きている。その氏が氏自身のレーゾンデートルである氏自身のエッセンスを話す訳がないということである。氏は意識していないであろう。意識することもなく、エッセンスを開示しないのである。あるいは、エッセンスを提示しようとしているのかもしれない。しかし、エッセンスはほとんど提示されていない。否、氏は展示会、書籍、エッセイなどで存分にエッセンスを提供している。それで十二分であろう。そこから私たちはいくらでも学ぶことができる。

ところで、当日、氏も言及された民藝とは、すなわち、民藝という言葉を作った柳宗悦の好みであり、美意識のことである。茶道では千利休の利休好み、小堀遠州の遠州好み、煎茶道関係では、売茶翁高遊外、木村兼葭堂、上田秋成、頼山陽、田能村竹田らの洗練された美意識が知られる。

日野氏は鍛え上げた自身の美意識を社会に向けて発信する取り組みを行っているといえる。ともに民藝運動を主導し、柳に次いで日本民藝館第2代館長となった濱田庄司は民藝のことを「柳の食べかす」と評した。同様に日野氏のテイストをなぞっているだけではエッセンスは得られない。美意識は、先人から学びつつも自分で構築しなければ、獲得することはできない。だから、例えば、自分の好みの伝統工芸品を紹介することは少なからずの負担がかかる。逆に言えば、自分の美意識を高められる大事な取組みといえる。

日野氏は作り手ではない。作り手というアドバンテージのない立場でありながら、美意識を提示するという方法により長期間に渡り活躍している氏の話を聞くことができたことは、私にとっては大変有意義であった。

 大変お忙しい中、ご講演いただいた日野明子先生、事前準備及び当日運営でお力添え下さった三重テラスのスタッフの方々に御礼申し上げます。

コミュニティマネージャー阿部のコメント

『ひとり問屋』として全国の作り手と使い手の間をつなぐ日野さんから、焼き物の世界の奥深さについてお話を伺いました。前半では、焼き物の種類、焼き方によって変化する質感など、普段は意識しない器の“背景”を丁寧に紐解く時間になりました。後半では、暮らしの中で長く大切に使うための工芸品のお手入れ方法も教えていただき、割れや欠けを防ぐための扱い方、素材ごとの洗い方や乾かし方、そして器と長く付き合うためのちょっとしたコツも知ることができました。

使い手としての姿勢を見つめ直すきっかけにもなったのではないかと思います。